例えば、この週末に10%の確率で噴火するというときに、登山禁止にしたが結局噴火しなければ、山に登れなかった人たちが騒ぎだすだろう。地元の商売も山小屋も大きな損害だ。

いや、登山ならまだいい。仮に今日、富士山の噴火が10%の確率で予知されるということで東海道新幹線と東名自動車道を止めてみたとしよう。当然経済的に大変な損失が発生する。噴火すればともかく、噴火しなかったときにその損失を負担することができる者はいない。

そういう意味では、地震や噴火の予知は単に「グラグラくるかもよ」「噴火するかもよ」という「確率論的な予想」ではなく、発生確率で割り引いたリスク同士の比較に他ならない。新幹線や高速道路を止め、住民を避難させる損失と、地震や噴火による損失を、それぞれ発生確率を掛けて比べる訳だ。

これはもはや政治的な判断であり、科学ではない。「地震は予知できない」と言うのはそういう意味で理解すべきなのだと思う。

“昨日のNHKのニュースで「噴火の兆候である地震が観測され、気象庁は事前に発表していた。なぜ広まらなかったのでしょう」みたいなことを言ってて、それはお前らが報道せんかったからやろってさすがに思った。”
archisketchbook:

© worapong manupipatpong - public design festival - milan, italy - 2011

archisketchbook:

© worapong manupipatpong - public design festival - milan, italy - 2011

(Source: archimodels)

“最近、とてもおいしい和食を食べる機会があった。

その和食は、「すごく手間がかかっている」のではなく、ぱっと見には「あまり手間がかかっていない」ように見える。

しかし、ものすごくおいしいのだ。まず、良い素材が選ばれている。そして、それを処理したり、味付けする「加減」がじつに精妙なのだ。その「加減」の選択、「それでいい」という判断は、きわめて高度なセンスのもとにおこなわれている。

料理に限らず、音楽でも、映画でも、デザインでも、なんでもそうだと思うのだが、いいものというのは「やりすぎ」がない。いいものを作れる人というのは、「何をやるべきか」をわかっている以上に、「何をすべきでないか」をわかっている。

何かをしないという判断は、決して無知なのではなく、「それをすべきでない」という知恵・センスに裏打ちされていることが多い。「それをやると、台無しになる」ことがわかっているのだ。

いいものを作れる人、いわゆる「達人」は、すべきことだけをやり、すべきでないことはしない。その高度なセンスや判断力は、「手を加える」部分という以上に、「手を加えない」部分に発揮されている。”

goodwoodwould:

Good wood - just bought myself one of these little beauties - an iPad Air sleeve (the lighter maple version) from Grovemade. Soooooo excited!

(Source: grovemade.com)

“本来お通しは店のオススメや旬を出して
その店の格を見せる第二の看板だったのよ
激安店みたいなのが表面だけ真似するから
そんなのばっかに当たった若い人はお通し=余分ってことに”
“天国に酒はない! 生きているうちに呑め!!”

  (ベルギービールを醸造しているトラピスト修道院)
cineraria:

Container Stacking - YouTube
cineraria:

Apotek Hjärtat - Blowing in The Wind on Vimeo
cineraria:

plotclock - YouTube
cineraria:

Kitty sits on hedgehog! - YouTube
cineraria:

Sheep teaches young bull to head butt, Terceira Azores - YouTube
cineraria:

Allez hop! - YouTube